居場所
私には、一年に一度訪れる、何もしてないのに満たされる場所がある。
愛媛県の南の方にある、祖父母の家だ。
前に投稿したものにも書いた通り、私は自己肯定感が低い。
と言うか、低かったことに気づいて、今は好転しつつあるが、
昔から祖父母の家を訪ねると存在しているだけで、周りにプラスの影響を与えられている感覚になる。
とても不思議だ。
ついこの前まてま、私の心は荒んでいた。
職場での課題である論文に追われていたのだが、何を書いてるかさっぱり理解できない。
と言うのも、自分の業務に関することで論文を書くのだが、今まで全く勉強してこなかった分野のことをする部署に配属された私は、毎日がちんぷんかんぷんなのだ。
論文の課題が始まると、それはそれはちんぷんかんぷん。もはや、二乗して、ちんちんぷんぷんかんかんぷんぷんくらいになる。
何も理解できないことに囲まれると、思考を止め、指摘を待つようになり、自己肯定感なんてものは皆無。
常に足を引っ張っている感覚はあるので、自分がいない方が組織が回りやすいということを思い浮かべやすい状態である。
締め切りが月末に控える8月は、イヤイヤ期に入った。
職場行くの嫌だなぁ。
朝起きるの嫌だなぁ。
暑いの嫌だなぁ。
帰った時、カバンからなかなか鍵取り出せないの嫌だなぁ。
気がついた時には「嫌だなぁ。」ばかり。
全ての思考回路が、「嫌だなぁ。」から入っていたときには、だいぶ心が滅入っていた。
職場の周りの人の会話には着いていけないから入っていけないし、嫌だなぁを吐き出せるところを見つけられなかったので、溜め込んでしまっていた。
そのタイミングで、祖父母の家を訪ねた。
ああ、まだ居て良い場所ってあったんだ。
職場に居てはいけないって言われてないし、勝手に居づらいと思ってるだけなんだけど、
常に居づらいと思っているうちに、居てはいけないって思うようにして、無意識に逃げる選択肢を作っているのだろう。
そんな弱虫は、私の前にすぐに現れる。
今、自分自身を振り返ると、昔から、嫌なことがあると、逃げる選択肢を選んでいたように思う。
正直、今回も、そんなに嫌なら辞めちゃえば?って考えはすぐに浮かんできた。
ただ、職場で嫌なことしかない訳ではないし、就職までめっちゃがんばったし、こんな弱気な考えが浮かぶこと自体、もったいないと思う。
愛媛県に訪ねるときだけ、存在しているだけで存在価値を見出せていたのが、どこにいても同じように見出せるようになれば、自分の強みになる。
そう信じて、どうすれば存在するだけで存在価値を見出せるかを模索している。
欲張りだからなぁ。。。笑
何か人のためになってこそ価値があるとかおこがましいことを考えているから、普段存在価値を見出せていないことには気づいた!
そして、居場所が1つでもあるってすごくありがたいことだなぁと、訪れてみて痛感する。
私には夢がある。
親になって穏やかな家庭を築くこと。
そのために、子供に常に居場所があると思わせることは必要不可欠だと思うようになった。
まずは、自分の中で居場所構築理論を早く見つけていきたい。
それで、多くの人が自分を居場所だと思ってもらえるような関係づくりができたら、これ以上幸せなことはない。
やっぱり、欲張りでおこがましいので、まだまだ時間はかかりそうです。