見栄晴
見栄晴という題名にしましたが、芸能人の見栄晴さんは全く関係ありません。
勝手に名前使って申し訳ないです。
さて、今までの投稿ペースからすると時間が空きました。まだ完結してない南米旅行の記事も全然書いてません!
誰にも迷惑はかけてないのでいけないことをしてる訳ではないんだけど、書かなくなった理由は明白。
それは自分が目を背け続けてきたことがあるから。
ブログを始めて以降、新生活の抱負とか、上手くいったラップの披露とか、南米旅行の武勇伝とか書いてきました。
見栄張る
これが、自分が幼い頃からずっとずっと持ってるもので、いつからか見栄は張るのにその事実から目を背け続けてきたものだ。
どっかの記事で書いたかなぁ?
幼い頃、絶対自分はキムタクみたいなイケメンになり、スポーツ万能で、頭が良い人間になると思っていた。
それはそれは何の疑いもなく、自信に満ち溢れていた。
私は昔から目立つことが好きだ。
賞賛を浴びることができる。
想像するだけで気持ちが良い。
強烈で貪欲な承認欲求がいつでも自分の周りにくっついている。
今でもそうだったんだなぁ。
理想とかけ離れていると感じても、分かっても、キムタクだと思われたい。スポーツ万能だと思われたい。めっちゃ頭が良いと思われたい。何でもできると思われたい。
ただ、いつだかのタイミングで、認めて!承認して!と喚くことが恥ずかしいこと、良くないことだと思うようになった。
しかし、
ザ・優等生でいること、
人と違うことを常に求めること、
目立たなくて良いですみたいな発言をすることもあったが結局目立ちたいこと
こんな感じのことを過剰にすることで、常に承認欲求をアピールし続けていた。
この自分を一番認められなかったのは自分だと思う。
承認欲求をアピールするのは恥ずかしいことだと思いながら、実際はアピールしている。
この矛盾に目を背け続けてきた。
理想とかけ離れた自分を認めたくない。
できるだけ理想に近い状態で見られたい。
この欲求か強くて、見栄を張り続けていたんだな。
今回この記事を書くことにしたのは、会社の同期に恋愛相談の電話をしたことがきっかけである。
「○○くんって自分のこと好きなん?」
この質問に即答できなかった。
好きな面はあるはずなのに。
しかも相当な自信家だったのに。
このときから、本当の自分と向き合うことを避けていたことや自分の嫌いな面と向き合うことを避けていたことを思い知らされた。
南米旅行の記事を書かなくなったのは自分が頑張った場面が終わったからだ。
もう武勇伝をアピールする題材はなかったのだ。
今まで、理想を描いて、そこに近づけるように行動を起こして、着飾って自分を作っていたと思うのだが、
それは悪いことなんじゃなくて、
良いことかもしれないんだけど、
自分自身を好きになりづらい。
ずっと自分に嘘ついてる感覚にもなるし。
今、自分の中で、見栄を張ることなく振る舞う方法と、肩とかいろんなところの力を抜いて生きる方法は全く分からないんだけど、探して実践してみます!
何か良い方法あったら教えてください〜〜
あー、でも見栄張りたいなぁ
カッコよく思われたいなぁ
それを恥ずかしいってことにしないのも1つの策だな!
今までちょっと窮屈な生き方しちゃったからね!
ひとまず自分が生きやすい形を◎