バックグラウンド

先日新任研修があった。その中で、一方的に仲良くなったと思い込んでいる人がたくさんできた。(確認してないだけなので、相思相愛を願う。)

 

その中の一人から、あなた(自分の名前を伏せただけ)のバックグラウンド気になるという連絡をもらった。

 

そういえば、あまり振り返ったことがない。

 

これを機に、自分の歴史を振り返ろうと思う。

 

 

幼少期はすごく幸せな人間だった。

どこからそんなに自信が湧き上がってくるのかと不思議になるくらいの自信家だったからである。

 

テレビで『プライド』というドラマを見たときは主演の木村拓哉を見て、将来こんな感じの人になるんだろうと思っていた。

母親が木村拓哉のファンだった。当時僕は、母が自分のファンであると思い込んでいたので同一化したのかもしれない。

 

不思議だが、何の疑いもなく、本気で木村拓哉みたいになると思っていた。

小学生の低学年くらいまでは全く疑わなかった覚えがある。

 

小学生の高学年になる手前までは、木村拓哉になれないことに気付き始めたが、自信家は変わらなかった。

勉強も体育も音楽も成績が良く、何でもできると思っていた。

そして、周りの人みんな自分のことが好きだと思い込んでいた。

 

多くの人に迷惑をかけるだろうけど、すごく幸せな生き方だと思う。こんなに自信を持てるのを今では尊敬する。

 

小学生の高学年の頃から、少し変化が起こる。良い人になりたいと思うようになったのである。

これは後々気づくことになったが、当時僕が目指した良い人というのは、都合の良い人であった。これは自然体でできていたことはなく、着飾って、作り上げているようなものだった。

 

これはとてもしんどい。

 

しんどさは当時も感じていたが、とりあえず慣れるまでと思って続けていた。高校生の途中まで着飾っている感覚を纏いながら生活していた。

 

結果都合の良い人になったと思うし、小学生の頃思い描いた人になれたのかもしれない。だけど、いざとなると違和感しかなかった。

 

目指すべきはこれではない。

高校生のいつだったか、気づいた。

 

高校生時代は僕にとって、俗に言う黒歴史のように思える。何もかも上手くいかない感覚を味わったからだ。

 

高校生では、中学生の時からやっていたバレー部に入った。中学生の時は、中心選手という感覚を持っていたが、高校になった途端、一番下手だという番付まで成り下がった感覚を覚えた。

 

これは自分の持っていたプライドを引き裂かれる出来事だった。ここから、現実と思想の不和が突きつけられる日々が始まる。

 

新チームになると、上手い同期と、たまたま大技コンビが決まって、実力が伴っていないのにレギュラーになった。

 

しかし、突然自らの甘さを突きつけられる。試合中にエースの先輩から、

「君、試合壊してるよ」

と、呟かれた。まさか、自分が、、動揺は止まらなかった。

 

コーチも僕の実力のなさにレギュラー交代を命じた。そのタイミングで僕は指の怪我をした。

怪我をしたことで、サブになることもできなかったので、復帰と同時に新しいポジションに挑戦することにした。

 

すると挫折感を味わう。

 

今まで自分のポジションだけを意識して練習してきたツケが回ってきたのか、すごく下手なのである。さらに、そこに「自分は下手だ」という暗示が始まる。

 

すると、プレーが見る見るうちに悪くなり、体の動かし方が分からないところまで落ちていった。イップスのような状態になったのである。

 

この心理状態は、部活以外にも影響していたようだ。

ある日、突然母から

「もう部活辞めていいよ」

と言われた。部活は必ず行きなさい!と言われ続けていたので衝撃が大きかったが、部活以外でもネガティブな発言が多くなり、顔は毎日暗く、鬱みたいになっていたらしい。

 

そっか、辞めていいんだ。

 

すごく楽になった。

 

 

ここで一旦、母が僕の鬱状態にびっくりした理由の話を挟む。

 

僕には反抗期はあったが、特殊だった。

 

3歳上の姉とは話せば喧嘩するような時期があったので、すごく冷たく接し、無視して良いところと思ったら無視するようになった。姉にはひどい反抗期があったと思う。申し訳ない。

 

それに対し、親への反抗期は、自ら宣言するものだった。

 

「今、言ってたことって、めっちゃ正しいと思うんだけど、なんかめっちゃイライラする!たぶんこれ反抗期だと思う!やっぱ来るもんなんだね〜」

 

それは反抗期じゃないと言われたが、あの精神を保ちづらい感覚は紛れもなく思春期が故の反抗期だ。人と表現方法が違っただけ。

 

ただ、反抗期がこんな感じだったから、僕が鬱のような状態になることは、親にとって天地がひっくり返るような衝撃だったらしい。ちょっと盛った。

 

話を戻す。

 

もう部活を辞めても良いという頭になった僕はなぜか、どうせなら、ちょっと楽しさを思い出してから辞めようと思った。

 

それからはプライドがなくなった感覚になる。ミスをして当たり前、上手くいったら男前みたいな考え方に変わり、プレー自体は大きな変化がないのに心が楽になった。

 

結局辞めずに最後まで続けた。辞めて良いって言われたから続けることができて、すごく不思議だ。

 

高校生だけめっちゃ長くなったが、この時に挫折を味わって、ネガティブな考え方は自分に合わないんだと気づいたのはすごく大きな財産である。

 

ネガティブは改善点を見つける上ですごく重要な視点だと思う。ただ、僕にはその視点が性格に合わないので意識的にポジティブを極めようと思った。

 

高校生の終盤から大学生の初めは、自分の形が見つからず、ポジティブを極めたいのにネガティブになることがちょくちょくあった。

 

めんどくさいのだ。自分も周りも。

 

小学生高学年からの過ごし方で身に染み付いてた、誰かの都合の良い生き方。見返りを求めてる意識はないけど、初対面から良い人像を見せる。

 

初対面で何か与えられたら、こっちも何か返さないとって思うような、、、

 

着飾ったつもりはさらさらないけど、うさんくささは出ていたんじゃないかな?知らんけど。

 

大学の2回生からサークルを変えたことで環境がガラリと変わった。そして、ストイック料理屋のバイト(3ヶ月で逃げるようにして辞めた)では久し振りに人から怒られる経験をした。胸ぐら掴まれたのは初めてかな?笑

 

真っ直ぐ向き合ってくれたので、不思議と今でも会いたくなる。3ヶ月で逃げたのに!彼女が出来たら見せ(店)に来いと言われているので、彼女が出来たら会える。いつになるかな〜

 

それと、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』のアドラー心理学について書かれた本を読んだのも大きかった。今はもう内容は詳しく覚えてないけど、見返りを求めないで接する自己完結の接し方に確信を持てたのはこのおかげだ。

 

また、サークルでは本当に好きなように振舞わせてもらった。その中で、見返りを求めずに、ポジティブをばら撒いて、自己満足ですっきり接するスタイルが見え始めた。

 

今絶対ありがた迷惑だったじゃん!とか思うことは日常茶飯事。でも迷惑かけたら、それを元に次の接し方を考えることにした。迷惑かけたら、その人には申し訳ないけど、こちらにとっては成長の材料。迷惑ありがただなぁ。

 

何というトラブルメーカー、、、

 

それでも、これからもスタイルを貫いていこうと思う。ちょっとずつ許容範囲に収まる迷惑をかけて、どんな状況も好転させる力を持った人になりたいなぁ笑

 

迷惑かける分、それ以上のプラスを与えられたら満足。いや、与えられた感覚を僕が持てたら満足。しょうがない、関わってやろうと思ってくれた方、これからもよろしくお願いしまーす!強要はしません笑