あれって何なん?①
すごく、すごく久しぶりに文字を打っている。
久しぶりに書きたいことができたので、是非とも読んでほしい。
指先で送る君へのメッセージ
ということで、標題のとおり、あれって何なん?について書く。
どうにも説明しがたい、不思議な感覚を抱く瞬間は誰にでもあることだろう。
私は感受性が豊かな方だと思うので、この感覚を毎日抱いている。
今日は仕事中にこの感覚が舞い降りた。
私が担当している業務は、いつも穏やかである。
電話がかかってくることは1日に2回あるかなー?くらいで、事務に追われることもたまにあるが、1週間あれば落ち着く。
どちらかと言えば事務を追う感覚になることが多い。
そんな私は今日、別の部屋に用事があり、10分ほど席を外した。
すると、その10分の間に2回私宛の電話がかかってきた。
いなくなったたった10分の間で平均受信回数に達してしまった。
席を外した時に限って、いつもそんなにかかってこない電話が鳴り始める。
何というすれ違い、、
人間はすれ違いの生き物なのだろうか。
続かない、続いてみたい
ブログを始めた時、私は毎日文章を書きたいという気持ちと、仕事が始まったら絶対書かなくなるという予感を持っていた。
ビンゴ!
仕事が始まるまでハイペースで更新していたブログも気がつけばほとんど更新しなくなった。
色んなことに興味を持って、手を出してみるけど、すぐにやらなくなることが僕にはよくある。
ゴールデンウィークあたりでジムに加入して、PS4を買って、ジムは3ヶ月くらい続いたけど行かなくなったし、PS4もやらなくなった。
夏のボーナスでは、電子ピアノとサッカーグッズを買ったけど、毎日はやらない。
最近はスロージューサーなるものを手にし、栄養抜群のジュースを作れるようになったけど、毎日はやらない。
今度10kmのマラソン大会に出ることにしたけど、たまにしか走らない。
ちょっとずつかじっている。
理想を描いて、かじってみるんだけど、かじったらかじったで、目的までの遠さに何とも言えない感情になる。
中途半端になることって別にダメなことじゃないと思うんだけど、
何か続けてみたいと思う今日この頃。
何かどっぷりハマる、一生ハマり続けるような運命的な出会いがあれば良いなぁ。
それまで、思う存分中途半端ライフを楽しもうと思う。
記憶にございません!
私は映画をあまり見ない。
大学に通っていたときは4年間で2本程度だったと記憶している。
そんな僕が、同じ映画を2度見た。
1回目の記憶がございません!
というわけではない。
もう一回見たい!と思うほど面白い映画だったのである。
それが、『記憶にございません』
脚本と監督は三谷幸喜さん。主演は中井貴一さん。他にも、小池栄子さんやディーン・フジオカさんも出演している、豪華なキャストを誇る映画だ。
他にも好きな人は出てたが、ここでは割愛。
簡単にストーリーを言うと、支持率がとてつもなく低い総理大臣が、頭に石をぶつけられたことをきっかけに記憶喪失となり、その後の展開を見せるものだった。
政治の話だが、すごく分かりやすいストーリーになっていて、楽しむことができた。
加えて、三谷幸喜さんの世界観が出ていた。
1シーンに1回はボケてるんじゃないかと思うほど、細かい。
胸ポケットに8色の色ペンを挿してる人が出てきたときには感動すら覚えた。
ここまで笑わせに来るのか。どこまでも見てる人を楽しませようとする心を感じた。
是非このシーンは探してみて欲しい。
この人を目一杯楽しませようとする心意気に惹かれて2回目の視聴を決めたのである。
2回目でも、しっかり面白かった。
分かってるのに笑ってしまう。
そして、3回目見たいなぁと思ってしまっている。
それは面白さの中にも心温まるストーリーがあって、勇気をもらえるからだと思う。
とにかく見てください!
おもしろい!
元気が出る!
この文で、『記憶にございません』に興味を持つ人が増えることを祈ってます。
LINE以外のSNSをアンインストールしてみた
この投稿を読んでくださる方にはすごくどうでもいいことを書く。
勝手にどうぞって内容の投稿である。
LINE以外のSNSをアンインストールしてみたーー!!!
はい、ということで、YouTubeの始まり方によくありそうなテンションを思い浮かべて書いてみました。
LINE以外のSNSをアンインストールしてみた。
これはみなさんにとってはすごくどうでも良いことだろうけど、自分にとってはすごく大きなことである。
なぜなら、私はいつも気づけば携帯の画面をいじり、1日の中でかなり長い間見ていたものだから。
そんな私が、インスタ、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブの角の取れた四角形を長押しして、消した。
理由は、それらで発信することがほとんどなく、受信してばかりだから!
見る専門でアカウントを持つことが悪いとは思わないけど、今の自分にとって、SNSはもったいないと感じた。
自分が発信したい!と思うことができたら、いつでもまた始めようと思うが、最近の私は周りに影響を与えようとは思わず、ずっと受け身だ。
この姿勢が危ないと感じた。
発信で誰かを勇気づけるとか、明るい気持ちにさせるとかができるツールを持っていながら、できていない、しない。もったいない。
この時間をもっと他の読書とか、趣味に当てたら人生もっと豊かになるのでは?という直感で行動を起こしてみた。
最近読んだGACKTさんの『GACKTの勝ち方』という本の中で印象に残った言葉がある。
知・覚・動・考
多くの人は、知・覚・考・動の順番で動く前に考えてしまうという。
しかし、動いてみたら経験値を稼ぐことができるということで、
知・覚・動・考(とも・かく・うご・こう)
SNSに当てていた時間を空け、何か発信できることが見つかるまで、ともかく動こうと思う。
居場所
私には、一年に一度訪れる、何もしてないのに満たされる場所がある。
愛媛県の南の方にある、祖父母の家だ。
前に投稿したものにも書いた通り、私は自己肯定感が低い。
と言うか、低かったことに気づいて、今は好転しつつあるが、
昔から祖父母の家を訪ねると存在しているだけで、周りにプラスの影響を与えられている感覚になる。
とても不思議だ。
ついこの前まてま、私の心は荒んでいた。
職場での課題である論文に追われていたのだが、何を書いてるかさっぱり理解できない。
と言うのも、自分の業務に関することで論文を書くのだが、今まで全く勉強してこなかった分野のことをする部署に配属された私は、毎日がちんぷんかんぷんなのだ。
論文の課題が始まると、それはそれはちんぷんかんぷん。もはや、二乗して、ちんちんぷんぷんかんかんぷんぷんくらいになる。
何も理解できないことに囲まれると、思考を止め、指摘を待つようになり、自己肯定感なんてものは皆無。
常に足を引っ張っている感覚はあるので、自分がいない方が組織が回りやすいということを思い浮かべやすい状態である。
締め切りが月末に控える8月は、イヤイヤ期に入った。
職場行くの嫌だなぁ。
朝起きるの嫌だなぁ。
暑いの嫌だなぁ。
帰った時、カバンからなかなか鍵取り出せないの嫌だなぁ。
気がついた時には「嫌だなぁ。」ばかり。
全ての思考回路が、「嫌だなぁ。」から入っていたときには、だいぶ心が滅入っていた。
職場の周りの人の会話には着いていけないから入っていけないし、嫌だなぁを吐き出せるところを見つけられなかったので、溜め込んでしまっていた。
そのタイミングで、祖父母の家を訪ねた。
ああ、まだ居て良い場所ってあったんだ。
職場に居てはいけないって言われてないし、勝手に居づらいと思ってるだけなんだけど、
常に居づらいと思っているうちに、居てはいけないって思うようにして、無意識に逃げる選択肢を作っているのだろう。
そんな弱虫は、私の前にすぐに現れる。
今、自分自身を振り返ると、昔から、嫌なことがあると、逃げる選択肢を選んでいたように思う。
正直、今回も、そんなに嫌なら辞めちゃえば?って考えはすぐに浮かんできた。
ただ、職場で嫌なことしかない訳ではないし、就職までめっちゃがんばったし、こんな弱気な考えが浮かぶこと自体、もったいないと思う。
愛媛県に訪ねるときだけ、存在しているだけで存在価値を見出せていたのが、どこにいても同じように見出せるようになれば、自分の強みになる。
そう信じて、どうすれば存在するだけで存在価値を見出せるかを模索している。
欲張りだからなぁ。。。笑
何か人のためになってこそ価値があるとかおこがましいことを考えているから、普段存在価値を見出せていないことには気づいた!
そして、居場所が1つでもあるってすごくありがたいことだなぁと、訪れてみて痛感する。
私には夢がある。
親になって穏やかな家庭を築くこと。
そのために、子供に常に居場所があると思わせることは必要不可欠だと思うようになった。
まずは、自分の中で居場所構築理論を早く見つけていきたい。
それで、多くの人が自分を居場所だと思ってもらえるような関係づくりができたら、これ以上幸せなことはない。
やっぱり、欲張りでおこがましいので、まだまだ時間はかかりそうです。
心からの尊敬
水色に染まったゴール裏。
そこに集う者が皆タオルを振り回す。
波を打つように目の奥に飛び込んでくる。
ジュビロ磐田の応援席。
いつしかこの光景に心奪われていた。
ジュビロ磐田は私が好きなサッカーチームだ。
所属している選手が好き。
チームカラーも好き。
ホームスタジアムも好き。
愛着しかなくて、もはや、この好きな気持ちをなんて表現したら良いか分からない。
言葉にしようものならどうしても安っぽくなってしまう。
さて、ここまでジュビロ愛を述べてきたけど、昔から試合を見続けて、多少なりとも目が肥えてきたと思っている。
試合を見てる時も、
「あー、今ここに出したら良いのに!」
とか、
「シュートは枠に飛ばせよ」
なんていうことを言うようにもなった。
小学校の3〜5年生の時にサッカーの経験がある私は、多少経験があるというだけで上から目線になっていたのだ。
自分にできるかわからんことを上から目線で発言するのはおかしいんじゃないか?
そう思った私は、社会人のサッカーサークルを調べ、知り合いなど全くいない環境でサッカーをしに行った。
10年ぶりにちゃんとサッカーをする。いや、小学校の頃は遊びのようなものだったからちゃんとサッカーをするのは初めてかもしれない。
私が行ったサークルはいきなり試合をした。
アップは軽くしかしていない。年齢が自分より2倍くらい上の人もいる中で試合が始まった。
始まって3分。
ボールを追って走り回ってバテた。
45分ってマジか??
プロの試合は45分。
それよりもずっとずっと低い強度の試合で3分でバテた。
まず、1尊敬。
結局、最初のミニゲームみたいなものは10分程度で終わったのだが、次はコートが広くなった。
人も7対7でやっていたのが、10対10になった。
応援席から見るピッチは全体を見渡せて、小さく見えていたが、実際にピッチに立つと広い!
本物のサイズよりは小さいかもしれないけど、それでも広い。
このサイズになってからはポジションに着くようになった。
始めに入ったのは右サイドバック。
ポンポンとバウンドするようなパスが来てトラップ空振りを3回ほど。。
41尊敬はしたなぁ。
また、ポジションを与えられると、常に良いポジションを取り続けるのがすごく難しいかった。
相手を見て、中に絞っておくか、サイドに張るのか
味方を見て最終ラインを常に揃える
これを同時にこなすのは初めての経験で、いつも簡単そうにやってる人ばかり見てたから驚いた。
めっちゃ難しいことしてたんだ。
サイドバックの攻撃参加とかは試合を見てる時には何度もやってるけど、いざ自分となると守備に専念するだけで精一杯。
次はセンターバックをやった。
この時にはもうすでに自分の技術のなさが十分に伝わっていた。
ボールが全く回ってこない。
本当お邪魔してすみませんって気分だったが、最終ラインを揃えるだけでも面白かった。
プロは最終ラインを揃えるだけじゃなくて、パスを出す直前にラインを上げてオフサイドを取るなど、相手と駆け引きをする。
無理無理無理無理。
DA PUMPのif…以来の四連続無理が出ました◎
なかなか揃わんし、揃えるだけで精一杯。
おまけに、攻められてゴール前までダッシュして、ジャンプしてヘディングでクリアをしたら足攣りました。
突然やって来た見知らぬ下手な人間が足を攣る。
なんと迷惑をかけるのでしょう。
ヘディングのクリアも全然飛ばない。全くイメージしていたものと違う。
プロはすごい。
141.4尊敬した。
最後は1トップ。FWをやらせてもらった。
初めてサッカーを見たとき、心を完全に奪われたのが中山雅史選手。FW。
憧れの人と同じポジションをできる!
それだけですごく嬉しかった。
でも、一番ゴールに近いのにボールは全然回って来ない。
頑なだなぁ。と思った。
最初は相手の最終ラインを見て、裏に抜ける動きばかりをしてしかけてたんだけど、ロングボールとか、スルーパスをほとんど使ってなかったので少し降りてみた。
すると、
「ああ、こいつにしかパス出すコースない」
って時に限ってパスが来るようになった。
これは自分が今良い位置にいるのかどうか分かるぞ
そう思いながら相手と相手の間にポジションを取って、多少トラップミスしてもボールを奪われない位置にいるようにした。
結局シュートは0。
スルーパスを1本通して、相手GKと1対1の状況を作り出したけど、味方が外した。
おい、あれは決めろよ
口からこぼれそうな本音はきちんと抑えた◎
自分がサッカー経験者に対しても多少通用する部分はあると思えたことがすごく嬉しかった。
そして、FWの試合で、右太ももを強く攣った、
絶対アップ不足だわーと後悔しつつも、サッカーの難しさを体感できたこと、貴重な経験ができたと思う。
実際の苦しさ、しんどさを知ると苦言なんて言えないなと感じた。
試合見てたら多分言ってしまうけど^^;
飛び入り参加させてもらったサークルからは技術的に加入は厳しいと言われた。
自分でもそう思う。
いつか別のチームに入って上手くなって、このサークル倒したらめっちゃ気持ち良いんだろうななんて密かに思う。
そして、プロのすごさはサッカーを体験してより強く刻まれた。
そして、ジュビロ磐田を心から尊敬する。サッカーを生業にしている人を心から尊敬する。
これからもこのエンターテインメントを存分に堪能しようと思う。
初の海外、南米旅行 その8!
このシリーズも第8弾◎
前回はレインボーマウンテンに登る前まで書いた。
今回はついに!登ります!
とは言っても、ゲストハウスからは遠かったので、まずは向かうとこから。
朝5:30だったかな?結構早めに起きて、朝ごはんを食べたらすぐに出かけた。
外へ出るとバスがゲストハウスの近くまで迎えに来てくれていて、もうすでに多くの人が乗車していた。
僕と友達は最後の乗車で、二席分空いていた最後列に腰を下ろした。
私の隣に座ったのは、友達と、ウェールズ人女性に挟まれる席だった。
バスに乗ってから30分ほどすると、左肩にじわじわと圧力がかかった。
ウェールズ人女性が眠りに落ちて、頭をこちらに傾けてきたのである。
おお!この人初対面なのにすこぶる信頼してくるじゃん!
とても驚いた。
きっとあの人は僕のことが好きだったんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、30分から1時間くらい、ずっと左肩にウェールズ人女性の頭が乗っかっていた。
それからその人が起きるとすごく恥ずかしそうにしていて、
Oh,sorry.
発音やっぱ違う。
Ohがもうすでに、オォゥみたいな日本語で表現しづらい発音で感動した。
No problem.One more OK.
みたいなことを言うと笑ってもらえて、英語が通じたこと、冗談が通じたこと、すごく嬉しくて自信になった。
それから間もなく、昼食の場所に着いた。
ご飯食べて、説明を受けて、いざ山へという流れだったのだが、ご飯の提供のお手伝いをしてた男の子がすごく可愛くて、幸せな気分になった。
友達も、あの子めっちゃ可愛いって言ってて盛り上がった。
一所懸命に働く子って素敵だなぁ。
さて、昼食会場を後にすると、バスはすぐに道無き道感溢れるところへと入って行った。
これ絶対脱輪するって思ってしまうほどの幅を巧みに縫っていく。
さあ、バスが着いた。
すでに標高は4,000mほどだったかな?
ここから歩いて、標高5,000mを越える山頂を目指す。
すでに空気が薄いはずだが、4,000mにはもう体が慣れていたので平気だった。
足場が整理されてるとは言えない道をずーっと歩いて行き、初めはほぼ平坦に見える道を進む。
そして、奥の方には傾斜がグワッと急になっているところが見える。
友達も僕もお互い視力が2.0あるので、きちんと見えていた。
ちなみに、馬に乗ってめっちゃ進めるサービスもあったが、歩くことにした。
僕は大学時代に六甲全山縦走というものを経験していて、山登りはキツいけど行けるだろうという思いがあった。
日頃から運動していたため、友達を僕が引っ張って行くと思っていたらたまげた。
友達めっちゃ速い。
速い登山は僕にとってすごく酷なものだった。
なんせ酸素が薄いの!
どんどん空気が薄くなっていく感じがして、高山病が蘇ってくる感じもして
こっちは綺麗な景色が見たいだけなのになぁ
綺麗な景色は、過酷の先にあるのでしょうか?
登山の記憶は、「キツい」と「友達速い」くらいしかない。
それしか考えられなかった。
その中で、外国人のステキな面に触れた。
もう目が死んでしまってるような状態で俯きながら山頂を目指す僕に、見知らぬ外国人が声をかけてきた。
"Vamooooo!!!!!"
拳を握った両手で、がんばれ!という仕草をしながらの、バモ〜〜〜!
すごくステキだと思った。
日本にいると、見知らぬ人に関わりにいく人って少ないけど、キツくてそれでもがんばってるときに、同じ境遇を味わった人に応援してもらえることがこんなにも嬉しいとは。。
体のどこか奥底から力が湧いてきて、山頂まで行くことができた。
道行く人にバモ〜って言いたいなぁ
バモ欲がすごく高まりました。
レインボーマウンテンは本当にレインボー。
これは山頂に行った人の特権だなって思った。
地層が織りなす色とりどりの山の断面は、誰もキャンバスに描けないような、綺麗なところだった。
うーん、上手く表現できないけど、完璧に表現できる言葉がないからこそ見る価値があるということにしておいて、今回の話は終わり!